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帰国しました。Kosukeです。深刻な四字熟語語彙不足に苦しんでいます、というか探すのがしんどいだけです。
日本での新生活のバタバタが今日であらかた片付いたのでそろそろ年貢、収めます。
今回は簡単に数点ほど米国研修の総括、学びの共有を行えたらと思ってます。あとおそらくこれがラスト投稿だとおもうのですがたまには見るようにしますので、例の如く質問等ありましたら気軽にコメントしてください。
1. 結局お前は派遣期間中に何をしていたんだい?どうなんだい?
a. 仕事
The Maureen and Mike Mansfield Foundationという政治シンクタンク(プログラム運営ベースですが)で半年間Program Assistant Internとして東アジアを取り巻く政治経済問題に関するイベント運営のお手伝いをしていました。電話対応、ケータリングの予約といった雑務もこなしていました。ベトナムコーヒー学修士号も同僚からいただいております。
b. ネットワーキング
「せっかくDCに派遣されたのだがら偉い人と知り合いになりたい」、という邪な考えを前面に押し出して多くの社会人にお会いさせていただきました。
c. 勉強
人生最高のモラトリアム期間でした。日中は仕事があるのですが、学生とは異なり夜は(課題がないという意味で)暇だったので、思う存分自分がしたいと思った勉強をしていました。具体的には会計、金融、安全保障、伝記など分野を問わずただただ好奇心の赴くまま本を読み散らかしていました。
d. 飲酒
書かせてください。日本で飲まれているビールはピルスナーと呼ばれる種類で、世の中には腰を抜かすほど多くの種類のビールがあり、「世界を感じる」という理由に託けてエールを飲み散らかしてました。特にIndian Pale Ale(通称IPA)はヤバイです。何がヤバイかはよくわかりませんがすごく美味しいです。ホップが効いててコクがあるらしいです。コクってなんですか?
2. 結局お前は何を学んだんだい?どうなんだい?
a. ネットワーキングの重要性
「DCは情報のマーケットですよ」と日本のビジネスパーソンに伺いました。情報を得るために世界中から人が集まり、広く深い情報を得るためにネットワークを構築する。つまり彼ら彼女らは自らの目的を達成するためのネットワークに命をかけているように見えました。文字通り生命線なのだろうと。充分に説明できないのですが、DCで扱っている情報に関係がある仕事をするには(つまりほぼ全て)、DCでのネットワークは必要不可欠なモノであると、青二才ながら実感しました。
b. DCにおける日本
書き始めると長くなるので、語弊を恐れず簡潔に記述すると
DCにおける”日本”自体の存在感はハードでもソフトでもまだまだ強いのだろうと感じました。それは経済の専門家からも安全保障の専門家からも同意をいただけました。また、それは日本自体が上がっているというよりは”強い中国”への牽制の産物なのだと。
ソフトな話をするとDCには確か1912年ぐらいに日本から贈られた桜が大量に植えられており、3月末ごろから4月頭まで咲き誇って(いるらしいです。僕は泣く泣く開花数日前に帰国してるので詳しくはRyosukeとかにでも勝手に聞いてくれればいいんですよ。花見イベント企画したら「これじゃ枝見だね、ワロス」と痛烈に指摘されて以来開花予報なるものを信じていません。存在すら疑い始めて)います。

3. 結局お前は何を得たんだい?どうなんだい?
a. 度胸
特筆に値します。海外在住歴、秒。みたいな自分が周囲を気にしてビビりながら生きていくには半年は長すぎます。自分で家を見つけてアハアハ言いながら契約した辺りで充分な度胸を身についたと今振り返ると思いますね。帰国2週間前くらいになると電車待ちながら布袋寅泰のバンビーナを本気で歌うことが出来てました。日本に帰ってからの弊害は想像を絶します。
b. キャリア感
夜暇だったので自分で深く考えた、多くの社会人とお話しした、同世代の優秀な友人と議論した、日本流の働き方を相対的に見ることができた、などいろんな要因がありますが、5年後どうなっていたいか、そのためには今何が出来て、何をするべきなのかがある程度明確に見えてきました。特に同じプログラムのYudai、Ryoくんとは夜な夜なああでもないこうでもないと議論していた気がする、貴重な経験やったし就活始めてその効果を実感してる、ありがとう。
他にも、日本からDCに交換留学でアメリカの最高峰大学(Georgetown,GWU,UMDなどなど)に留学している学生は漫画を地でいくようなハードライフを送っておりなおかつ優秀で多くの刺激を得られましたし、負けてはいられないなと気持ちを入れ直すことが出来ました。みなさん、感謝しています。次は俺の方から何か提供できるような人間になるので、引き続き仲良くしてくれると嬉しいです。てかアメリカ時間の深夜にFBついとる勢には恐怖を通り越して神秘的な何かを感じています。
c. ロールモデルないしライバル
こう書くとある1人の人間の生き様に感動したというチープなエピソードに聞こえてしまいますが、傲慢な僕がたかが1人の人間をそこまで評価することは決してございません…と言うつもりだったのですが、いや今でもそのつもりなんですが、曖昧な表現で誤魔化すならば研修期間中に「人間性」という要素で圧倒的敗北を食らう機会がありました。何かにつけ負けることは恐ろしく嫌う僕が、勝ち負けを一旦忘れ純粋に驚いた珍しい経験でした。長いしめんどくさいので結論を言うと、とりあえずはその”ロールモデル”と同値以上の「人間性」を獲得し、自分本意な争いに勝手に勝利したいと思います(こんなことまで勝ち負けとか言ってるあたりで問題アリなんですよね。はっはっは)。
4. 感謝
一部の友人には「感謝遅くね?」とかクソどうでもいいツッコミを受けると思うのですが、無視して末筆に。お世話になった皆様が果たしてこのブログを見てくださってるかは甚だ怪しいですが、publicになっていますのでお許しください。
私たちIDYLプログラム生が、各々の掲げた目標に向け努力し、実際に多くの成果を得ることが出来たと感じられているのも、直接的、間接的ご支援をいただいた皆様のお力添えのおかげです。御礼申し上げます。
私といたしましては、今回頂きましたご恩に対して、そのご恩によって得られた経験を最大限活用し将来日本を背負って立つ人間になることで恩返しさせていただきたいと存じます。
これからも何卒よろしくお願い申し上げます。
5.最後に
今年度も慶應義塾大学法学部政治学科3年として三田の丘(ならびに月曜5限、金曜2限に日吉でスペイン語)で勉学に勤しみたいと思います。また、外資系企業を中心に就職活動を進めていきますので、すでに開始された就活と勉学のバランスを取りつつ、かつ私生活も充実させる、大谷翔平も驚愕3刀流、2度目の大学3年生を謳歌したいと思います!!
¡Hasta la vista!
Kosuke